こんにちは、だいちゃんです。
夫婦ケンカのあと、話し合いをして、
「よし、これからは人を傷つけないように気をつけて生きよう」
と、心に決めた。
でも――
2日も経てば、その決意を忘れてしまっている自分がいる。
そしてまた、同じようにぶつかり、
妻にこう言われる。
「あの話し合いって、なんだったの?」
😔自分でも、自分にがっかりする
「またやっちゃった」
「やっぱり自分はダメだ」
そんな思考のループに落ちる。
でも先日、カウンセリングでこんなことを言われた。
「それは“罪悪感の罠”かもしれません」
🧠表面の反省では、たどりつけない場所がある
「次はこうしよう」
「気をつけよう」
「優しくしよう」
僕はずっと、そうやって**“表面”から自分を立て直そうとしていた**。
でも、カウンセラーの先生は言った。
「だいちゃんが自分自身に問いかけている“質問の深さ”では、たどり着けない場所があるんです」
🧒小さい頃の僕は、怒りを避けるプロだった
母の顔色を見て、
怒っている時は、「はい、はい」と言っていた。
なぜダメなのか、どうして怒ってるのか――
そんなことは聞かなかった。
ただ、その場を静めるために、反射的に従った。
🐾チャチャ登場
チャチャ:「ふにゃ…それって、“怒られない自分”を演じることで、“生き残る”方法だったんだにゃ」
だいちゃん:「うん、本当にそう思う。怒られる=愛されないと思ってた」
チャチャ:「でもそのかわり、“自分の本音”も、“満足”も置き去りにしてきたにゃ」
💡“自己満足感が低い”という言葉
カウンセリングで言われた言葉。
「だいちゃんは、自己満足感が低いですね」
それを聞いた瞬間、
なんだかすべてがつながったような気がした。
🆚妻の「私は愛される存在!」という感覚
妻は、自分のことを
「私は愛されて当然の存在!」
と、口に出す。
最初それを聞いたとき、僕は衝撃を受けた。
すごく、自己満足感が高くて、強くて、自由に見えた。
💭僕は、何か“特別なこと”をしなきゃ愛されないと思っていた
だから、誰かを喜ばせなきゃ意味がない。
周りに優しくしなきゃ、自分には価値がない。
そんなふうに思って生きてきた。
でも、妻は知っていた。
「人は、何もしなくても愛されていい」ということを。
💬まとめ:これから取り戻していくもの
僕は、これから「自己満足感」を取り戻していきたいと思っている。
- 何かを達成しなくても
- 誰かを喜ばせなくても
- 間違っても
それでも、自分には意味があると信じてみたい。
これは、自己満足感を取り戻す旅の第一歩。
強くなるための、静かで確かな一歩です。
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